自然のままはや許されぬ、不自然な世界に人類は住んでいる

自然のままはや許されぬ、不自然な世界に人類は住んでいる
 インドの猛暑へ、東京新聞「筆洗」(2015年5月31日)は、雨乞いを。「木の上で人が寝ている。寝ているどころか、どうやら、この木の上で生活しているようだ。人が涼しさを求め、木の上で寝ることと、エアコンの効いた部屋でしか生きられぬことと。ニューデリーの最高気温は四五度を超えている。死者は二千人を超えている。インドで電気の恩恵にあずかる人は人口の三分の二にすぎないと聞く。エアコンなしの<自然>のままでいることはもはや許されぬ<不自然>な世界に人類は住んでいる。インドの熱波、日本の猛暑にせよ、過去には<異常>だったことが定着し、<普通>になっていく。その<異常>さを恐れる。古代インドの聖典「リグ・ベーダ」に降雨を妨害する巨大な蛇をインドラ神(帝釈天)が退治した伝説があるが、雨のため、退治すべきは蛇ではなく、人の行いだったのか。雨よ、早く降れ。あの木の住人のために。」
 地球ににとって、その気象は、別に普通も異常もない。あるがままの自然である。それを勝手に我々は、異常気象と称しているようである。その異常気象に対して、対応力がないと死に至る。これまで、どれだけの種がこの地球から消え去って行ったのであろうか。また、自らを変化させて、今なお、種を維持している種もある。私たちは、そのような変化に耐えられる力や環境に対応した変化ができるような能力を持ち合わせているのであろうか。否、その代りに技術革新を繰り返してきたが、それが自分たちの住みにくい状況をもつくりだしている。神頼みもできないし、この地球から消える種にならぬためには、自然との調和を捨てて、自然と闘い続けるしかないのであろうか。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015053102000134.html