記憶が失われる状態とは、引き出せないでいるにすぎないらしい

記憶が失われる状態とは、引き出せないでいるにすぎないらしい
 東京新聞「筆洗」(2015年6月1日) で、理研の実験結果に期待を寄せている。「記者が記事を書くためにワードプロセッサーが導入されたのは、一九九〇年代前半だったかと記憶する。移行期には数限りない記者の「悲劇」も見てきた。なれぬワープロ操作で書いた原稿が画面から消滅してしまう。時間をかけて書いた原稿が瞬間にして失われる。もう一度、最初から書くしかない。消えた情報を取り戻すのは大変である。さて、理化学研究所のチームがいったん覚えた出来事を忘れたマウスの記憶を回復させることに成功したという。どうやら記憶が失われる状態とは、記者ワープロの原稿のように完全に消滅してしまうのではなく、脳のどこかには残っているのだが、引き出せないでいるにすぎないらしい。記憶が失われるアルツハイマー認知症などの治療法につながる可能性もあるだろう。「STAP細胞」の苦い記憶も生々しい理研だが、この研究成果だけは何があっても「消滅」させてはならない。」
 記憶がこちらの都合で、忘れていたこと思い出せると、それは良い。嫌なことは忘れて、楽しい事だけ記憶に残して自慢する。しかし、それでは、まさに昔のことを繰り返し言う痴呆老人と変わらない。それに、忘れてしまったことを思い出すとは、考えてみればそれを選べないから、消えたものを一斉に復旧させるということなのであろうか。記憶が無くなった者の記憶が戻るというより、記憶の消える割合が少なくなったり、ある記憶の先の消えているところが戻ってくるのは、素晴らしい。でも、生き物の人間として幸せなのであろうか。マシンではないのだから、どんどん忘れて新しいことをやっている気分の方が良いのかもしれない。机の引き出しの中と同じで、どこに何かわからない、そんな引出しからの大発見が楽しいのである。