プーチン大統領が「内戦寸前」という事態にまで立ち至っている

(日経「春秋」2014/4/17付) 歴史の墓場に眠っていたはずの幽霊を、現実が呼び覚ますことがある。ウクライナとロシアの対立をめぐって時に語られる「制限主権論」という言葉もそうだろう。理屈は社会主義を守るのでなく旧ソ連を守るためにあった。一人前はソ連だけ、東欧の国々は半人前で「衛星国」と呼びならわされた。半人前が不遜な挙にでれば、一人前が武力で押さえ込んだ。それでも、1968年の「プラハの春」の後のような悲劇は東西冷戦の副葬品として墓場送りになったはずだったのだ。いま、ロシアはウクライナを半人前どころか子ども扱いである。プーチン大統領が「内戦寸前」という事態にまで立ち至っている。起こりうるのは内戦なのか、それともロシア軍も加わった内戦以上のものなのか。ウクライナを跋扈(ばっこ)する幽霊をもう一度墓場へと送り返せるのか。日々発せられる難問を解く知恵を世界は持っている、とこれほど思いたいことはない。
(JN) 私たちは、パックスアメリカーナのおかげで、平和な生活を送っている。そのアメリカの傘が弱ってきているが、それでもクリミヤの生々しさは伝わってこないのが現実である。ロシアのための「制限主義論」、これはより強い国の論理であり、日本も米国の強い論理の下で生きているわけであるが、まだ雨に当たりにくいので、ウクライナのような状況にないのである。ウクライナに何時、ロシアの戦車が入り込んでいくのか、それを阻止するのが、第三国の役目であろう。1968年に戻るわけにはいかない。主権はそれぞれの国にあり、大国だけのものではない。他人事でもない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO69987770X10C14A4MM8000/