論理軽視社会の主犯は、政治家と評論家だ

(日経「春秋」2012/10/16付) 先週亡くなった作家の丸谷才一さんが、スピーチについて語っている。ある企業の社長が、取引先のパーティーで祝辞を述べた。諸先輩を差し置き壇上に立つおわび。依頼を受けた経緯。「最初は辞退したのですが……」との釈明。日本の閉じた共同体では、意見をはっきり言う人間は、うるさいやつだと嫌われる。だからあいさつでは、なるべく無内容に、けんそん、へりくだりを繰り返すのが最上の策になったのだ。論理軽視社会の主犯として、近年、繰り返し挙げたのが政治家と評論家だ。政治家が言い逃れ、ののしりあいに言葉を用いるのは「本来の使い方ではない」。評論家は論争に勝ちさえすればいいと考え、「読者もボクシングを見るようなつもりで評論を読む」。言葉の力をどう前向きに生かすか。丸谷さんの残した宿題だ。
(JN)日本の政治家の発する言葉に中身がないし、政党にも中身がない。また、選んでいる国民にも中身がないと私は考える。素晴らしい日本語、私たちはもっと論理的に、大切に使わなければならないのではないか。この程度の意見であれば、嫌われないであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47303750W2A011C1MM8000/