8月ジャーナリズム、日本の来し方行く末を集中的に考えるための意義

  • (日経/ 春秋 2012/8/6付) 資料探しでよくお世話になる区立図書館が、8月に入るや「戦争と平和を考える」コーナーを設けていた。いま、日本中の図書館がこうした企画を手がけているに違いない。とりわけきょうの広島原爆忌から終戦記念日までがピークとなろう。しかしそれを「8月ジャーナリズム」と批判する声もある。この時期だけ、思い出したように戦争だ平和だと騒ぐ、という指摘だ。たしかに、年中行事のごときマンネリ化は自戒したい。けれども年に一度、日本の来し方行く末を集中的に考えるためにも「8月ジャーナリズム」の意義はある。昭和の大戦はけっして歴史の領域に送り込むわけにはいかない。めぐる夏ごとの、社会のさまざまな試みが、あの戦争をかろうじて「現代」に押しとどめてきた。その書棚で見つけた竹山広の歌集から一首。「原爆忌原爆忌ぞと声あぐる人のちからはいづこよりくる」。
  • (JN)日本人は平和ボケと言われる。他国の青年たちに守られた67年間、あの悲惨な戦争の現実を忘れてはならない。自分も戦後生まれ、実際の体験はない。しかし、戦争について語り継がれる現実が、また他国での現実が、今の世界を私に語りかけていてくれるからその凄惨さを知ることができ、また我々は語り続けなければならない。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44596080W2A800C1MM8000/