#教育者たる人の言葉だろうか

『#教育者たる人の言葉だろうか』<2021年8月30日(月)>
 まな娘は、もうこの世にいない。『天風録(210829/中国新聞)』はある「いじめ」事件の学校対応に思う。「10人の加害者の未来と1人の被害者の未来、どっちが大切ですか」。いじめの果ての悲劇と疑われ、居直った教頭の言い草▲この国の、それも教育者たる人の言葉だろうか。あろうことか、二の矢で「どっちが将来の日本のためになりますか」とも▲断ち切られた命の重みに、まず向き合わぬ神経がどうにも解せない。人ごと感は拭えず、高をくくっている節さえある。凍死問題の行方は、いまや列島中の耳目を集めている▲いじめなどで学校をはかなむ子どもにとって、夏休み明けは戦々恐々の時期だという。NPO法人の全国不登校新聞社も緊急アピールで警鐘を鳴らす。心の重しはコロナ禍で増している。子どもという「未来」が危うい。
 (JN) 学校という空間。ここは何であるか。小さな社会空間。人間の住むところである。何が大切なのだろうか。子供たちの今の命と未来。子供たちの心と身体、弾んだり沈んだりする。大人の都合の枠に無理やり詰め込まず、活き活きとさせたい。
#いじめ
#教頭の言い草
#命の重み
#コロナ禍
#未来

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