『子どもたちが傷つけられ殺されていい理由などあるはずがない』

<2016年8月20日(土)>
『子どもたちが傷つけられ殺されていい理由などあるはずがない』

 リオデジャネイロで平和の祭典が始まったが、世界は平和になっていない。「天声人語」(朝日/16/8/20)は、シリア内戦、空爆で破壊されたアパートから助け出されたという5歳の男の子、オムラン・ダクニシュ君を取り上げている。そして、トルコの浜に漂着した男の子の遺体の写真を思い出す。「私たちの国が70年以上も前に経験した戦火に、いまもさらされる人たちがいる。平和の祭典のさなかだからこそ、思い起こしたい。子どもたちが傷つけられ殺されていい理由などあるはずがない」のである。

 誰のために戦争を行うのか。今の自分のためか、過去の人たちのためか、未来の子供たちのためか。いずれも、戦争する理由にならないはずだが、理由をつけて敵を作り戦いを挑む。平和の祭典の真っ最中でも、戦争は続く。相手をやっつけなければ自分がやられる。仲間がやられたら、やり返す。リオデジャネイロの祭典に一喜一憂しているのは、幸せな奴らだというように、戦地は攻防を繰り返す。某大国同士が代理の闘いをしている以上、地球上から戦争はなくならない。戦争は弱いものを平気で押しつぶしていく。家族や場所を奪い、残るのは死か、憎しみである。4年後、平和の祭典を本当にするために、日本ができることは何だろう。私たち一人一人ができることは何だろうか。老若男女、皆が考え、私たちは声を挙げよう。(JN)