『#携帯電話、便利だが、使い方次第では、刃物以上に』

『#携帯電話、便利だが、使い方次第では、刃物以上に』<2020年7月15日(水)>
 「文部科学省は中学生が学校に携帯電話を持ち込むことを容認する方針」に『筆洗(200715)』は鉛筆削りの学校の驚異室への配置を思いだす。「当時社会党委員長の浅沼稲次郎刺殺事件。・・・本当に良かったのかという意見もある。少年の刃物による事件という衝撃から刃物追放運動が起こる。・・・本当に良かったのかという意見もある。・・・刃物のこわさを子どもが身をもって学ぶ機会が失われたのではないか。そういう考え方である。」さて、携帯電話の所持について「災害時の緊急連絡手段になると方針を変えた。・・・SNSによるいじめの心配や学校側の管理負担を思えば慎重論もあるだろう。・・・便利だが、使い方次第では、刃物以上に自分や誰かを傷つける危険な道具であることをよく教えたい」。
 (JN) 今でもナイフで鉛筆を削っている。ほとんど使わなくなった鉛筆だが美術館でのメモ用に準備している。最近は、投票場に持参するようになった。子供のころナイフでは、鉛筆ではなく、自分の指も切ってしったことか。その痛さが使い方を考えさせた。SNSのいじめは体験させる必要はなかろう。携帯電話は緊急連絡手段のためになるのだろうか。高い所持品、その扱い方、子供たちだけでなく、大人たちも勉強しよう。
#鉛筆削り器
#ナイフ
#緊急連絡手段
#Dangerous tools to hurt

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