電話というものには互いの息遣いまで伝えてくれる力がある

(日経「春秋」2013/9/2付) 「五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声」。小野茂樹が残した一首。受話器から恋人の声が音楽になって流れ、耳をくすぐる。自身の甘酸っぱい記憶がよみがえる人もおられよう。こういう相聞歌が生まれるほどに、電話というものには互いの息遣いまで伝えてくれる力がある。しかし昨今は、携帯電話利用者の音声通話離れが進み、NTTドコモの場合は1回線あたりの月間平均通話時間は109分という。10年前より53分も短くなった。1日に3分半である。原因はもちろん、電子メールやLINEなど通信アプリの普及だ。外国に比べても日本人はどんどん「話さない国民」になっているという。ネットの言葉はしばしば攻撃的になり、誤解を生む。いつもとんがったメールをよこす人が、話してみたら意外にも心地よい語り口だった、ということもある。絵文字、顔文字の感情表現も悪くないけれど、「五線紙にのりさう」な弾む声にはなかなか敵(かな)うまい。
(JN) 電波の通じない山奥や災害時でない限り、電話は簡単に通じるようになってしまった。それゆえであろうか、通常時に電話の便利さのその価値が忘れ去られてしまったのか。電話による会話は一対一の連絡ツールゆえ、また相手がその時対応できなければ伝達ができない。だから電子メールで済ましてしまう。否、それを待って何度でも恋人に繰り返し電話を掛けることはしないのか。文字では心の内が伝わるのであろうか。思い出してほしい、なかなか連絡がつない家族の声を聴いたときの安堵を、それは忘れられない。声を聴くことの出来る場では、声を聴いてほしい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59190740S3A900C1MM8000/