『温暖化問題とは、世代と世代の問題である』

『温暖化問題とは、世代と世代の問題である』<2019年9月24日(火)>
 「数百万人の参加者の多くが若い。危機感と大人の責任を問う声が聞こえる」。『筆洗』(190924)は、地球温暖化問題を訴える若者の行動に思い、トリュフォー監督の『レ・キャトル・サン・クー』(直訳「四百回の打撃」、日本のタイトル『大人は判ってくれない』)を出す。「先週、世界のおそらく全大陸で、都市の大小、先進国かそうでないかなどを問わず、デモや集会など一斉行動があった。・・・スウェーデンの十六歳グレタ・トゥンベリさんが昨年、議会前で抗議の座り込みをしたのがきっかけという。・・・大人が目をそむけがちだったところに、若者の視点という角度から、重要な光を当てたようにみえる。分からないではすまない指摘だろう」。
 (JN) 地球温暖化は未来の問題ではない。もう起きているこれがどの増幅していくのだろう。今、俺たちは大丈夫と思っている大人たちが、数年後に苦しむことになるのかもしれない。もう、大量消費のアメリカ式を終わりにしなくてはならない。我々が賢ければ、私利私欲のリーダーを駆逐して、対策に邁進するだろうが、我々はそれほど賢くはない。残念ながら、多くの人は体験を繰り返し、ことの意味を理解してゆく。今後、地球温暖化の犠牲者、どのような形で、どこで、どのくらい生じるのであろうか。予測はできているが、大人は理解しようとしない。今を守るのだ。でもそれが今を破壊することがわからない。そして、若者もやがて大人になる。
#若者の抗議

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