『「スバリスト」は情けないと泣いている』

『「スバリスト」は情けないと泣いている』<2018年11月7日(水)>
 「不正はもうやっていない」。『筆洗』(181107)は、またも不正のスバルに思う。「「『過ちて改めざる、是(これ)を過ちという』。孔子を引くまでもなく改めざる過ちである。再発防止に必要なのは言葉ばかりの反省やおわびではない。問題のある仕組み自体を改めることだったのに、それを忘れた。<寒昴(かんすばる)天のいちばん上の座に>山口誓子。高い空にあった信頼の星は落ちた」。「『スバリスト』は情けないと泣いているだろう」。
 (JN) 過ちを隠すために過ちを犯す。大丈夫だろうか。これが最後なのか、まだまだ、出てくるのか。過ちが内部でわかった時、そのすべてを調べていかないと、どうも、ズルズルと後から過ちが出てくるのではないか。なぜ、トラブルを根本から改善せず、隠す行為に出るのか。なぜかは誰しもわかる。でも、これは躓く原因になる。これも誰しもわかっているのにやってしまう。なんだか自分に言い聞かせているようだが、スバルよもう大丈夫かしら。また他社は二の舞を演ずるなかれ。