『50年前のきょう起きた新宿騒乱事件では約2万人が・・・』

『50年前のきょう起きた新宿騒乱事件では約2万人が騒いだとされる』<2018年10月21日(日)>
 「多衆で集合して暴行又は脅迫をした者は、騒乱の罪とし……」。『春秋』(181021)は50年前の今日の新宿騒乱を想い、また「多衆」の今を思う。「放火をはやしたり、投石に加勢したりする群衆が東口広場を埋めた。学生たちよりずっと多かったという。・・・新宿駅かいわいは相変わらずの雑踏だが、往年のざわつきはとっくにうせた。いまどき街頭での騒ぎといったらハロウィーンの渋谷くらいだろう。しかし――。ネットの世界ではしばしば大騒動が起きる。炎上する。怒りを募らせ、社会を揺らす『多衆』は見えないだけかもしれない」。
 (JN) 「多衆」はどこにいるのか。個々を特定できないカオナシであろうか。50年前の若者たちは常に時代の主役として、日本人口の柱であり、今も人口問題の中心にある塊である。米国との戦争に負け、米国の傘の下で再スタートを切った日本に生まれた期待の世代であった。70歳代に入りはじめた人口の塊は、もう「多衆」としていくわけではない。この塊は保守にあり、「強衆」であろうか。この塊の人々が、人数弱者の若者を思い通りにしたいが、新たな「多衆」は目に見えない。区別できぬ人々を無理やり「多衆」として網の中に入れ、やれ「騒乱」と「多衆」を大量に確保したお国は、いまもっと無理やりその範疇を定めねばならぬカオナシの「多衆」にどう向き合ってゆくのであろうか。