『1964年の、伸び盛りの日本を描いた物語に浮かび上がる・・・』

『1964年の、伸び盛りの日本を描いた物語に浮かび上がるのは明日を信じる精神である』<2017年5月23日(火)>
 NHKの連続テレビ小説ひよっこ」の時代は、「『いまよりも上』への階層移動がかなう時代ではあった。だからみんな頑張ったのである」と「春秋」(170523)は言う。そして、「世の中からそんなダイナミズムが失われて久しい。経済力の差は教育格差、学力格差を生み負の連鎖が心配な平成日本だ。教育無償化の議論がにわかに熱を帯びているのも、人々の胸に階層固定化へのうっぷんがたまっているせいかもしれない」と。
 (JN) 「ひよっこ」の時代、1960年代の日本、インフレ好景気、借金など心配なく借りても返せる時代であったろうか。若者は夢を持ち、人口は首都圏に集中した。私はそんな東京でも調布市の田園地帯に生活をしていた。近くにはミツミパーツの女子寮があった記憶がある。経済力の量の力で人間も自然も産業化していった。田んぼは団地に代わり、周りは知らない人でいっぱいになった。そのことろは、家族が多く子供の学歴より、早く仕事をさせることが優先であった。それが今では、独り立ちより高等教育を受けさせようとする。どうなのだろう、各個人が18歳となり、親の経済力で大学へ行く方法をいつまでこだわるか。格差是正には、18歳の子供たちには機会を同じに与えたい。子供の独立と高等教育への支援を両立できないであろうか。