『違いと対立を認め、それでも排除しない。自由な社会・・・』

『違いと対立を認め、それでも排除しない。自由な社会が必要とする鉄則だろう』<2017年5月2日(火)>
 「30年前の5月3日、朝日新聞阪神支局で起きた襲撃事件は、まぎれもなく言論に向けられた銃口であった」と「天声人語」(170502)は言う。「卑劣な暴力をふるったのが何者か、いまだ不明なのが悔しい」と。そして、「『私は君の言うことに反対だ。しかし、君がそれを言う権利は命をかけて守る』。フランスの思想家ボルテールの言葉として伝わる。違いと対立を認め、それでも排除しない。自由な社会が必要とする鉄則だろう」と。
 (JN) 排除し合うから対立する。これはわかっているが、我々の社会はゲームなのか、駆け引きの中に生きている。意見を言い合うのは良いが、圧力や暴力に走る行動が伴ってくる。その暴力の手先になっているのは、弱者であろうか。「いってこい」と言われ、目的もわからず暴力行為を行う。この人権を無視した指示を出す者がいなくならない限り、こういったことはなくならない。左右中関係なく、国家間の在り方も含めて、あってはならない。民主主義のプロセスには時間を要するが、私たちの自由を守るためには、性急な力尽くの行動は危うい。