『宗教を介した国際交流がじわり広がっている』

『宗教を介した国際交流がじわり広がっている』<2019年11月20日(水)>
 「曹洞宗大本山總持寺で英語による参禅を体験した」と『春秋』(191120)の筆者。「外国からの旅行者や日本在住者ら、多いときには30人ほどが集まる。・・・穏やかな気持ちで座禅を終えた・・・そんな国境を越えた宗教のありようを体現する人物が近く、来日する。初の南米出身で移民2世のローマ法王フランシスコ。・・・三重県や埼玉県にはベトナム語インドネシア語スペイン語でミサを行う教会も。・・・日々、外国人とまじわる總持寺の修行僧の話だ。『禅について問われ、何のための修行かを深く考えるようになった』。宗教を介した国際交流がじわり広がっている」。
 (JN) 宗教は国境を越え、様々な人を魅了する。政治とはかけ離れたインターナショナルな人のつながりを導き出す。でも、そうではない宗教もある。排他的になり、対立する。それを政治が利用することがある。信ずる者も、信じない者も悲劇が起きる。今現実に国際間で摩擦が起きている。また、国家にとって邪魔な宗教は排除される。日本でもあったことである。自分を守るために他者を認めない行為が続く限り、平和は訪れない。宗教とは何であろうか。それぞれに考えに違いがあろうが、互いの宗教を認め合えるように、我々は高度化されないだろうか。
#英語による参禅
#ローマ法王フランシスコ
#宗教を介した国際交流

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