『池の中にあるのは泥棒か、くいか』

『池の中にあるのは泥棒か、くいか』
旭化成建材による建物のくい打ち施工データ改ざん」問題は、一人そして「くい」だけではなかったようである。毎日新聞「余録」(2015年11月03日)は、落語の「杭盗人」を比喩にしている。「『猫かしら』と家人がいうと泥棒は『ニャオ』と声色、『犬かも』、……、『池の中にあるのは泥棒か、くいか』というと泥棒は『くいくい』……。くいがしゃべれるものならば、正しく打たれているかを問いただしたいマンション住民は全国におられよう。ここは建設業界や行政も今までの工事の実態を明らかにし、早く是正へと動いてほしい。世にふくれ上がる不信や不安に答えるのに妙な声色は無用である。」
このような問題は、「くい」や建設業界だけでなく、日本の仕組みを見直すことも必要なのかもしれない。私たちは何を目的として、何に価値を認めているのであるのか、忘れているのではないか。また、強い者が弱い者を助けるのではなく、強い者が弱い者をいじめる姿勢が、大人の社会で当たり前に行われているのだから、子どもの社会でも起きる。いじめは、その終了の悲しい結果として自殺がある。今回の事では、そのような事が起きず、「くい」の正体を明らかにして欲しい。更に、「くい」の届かぬこの世界を明らかにすべきである。(in)