『シンボルマークは顔である。そのそっくりの顔を見たら』

『シンボルマークは顔である。そのそっくりの顔を見たら』
 「ドッペルゲンガーだったのだろうか」、日経「春秋」(2015/8/1付)は、「2020年の東京五輪エンブレムの酷似したロゴがすでにベルギーなどにあることに、関係者は『問題はない』発言に、問題ありと」。
 「劇作家の木下順二が自伝的な回想「本郷」、ある雨の午後。外出から帰って、階段をのぼった。すると、自室の前に顔色のあまりよくない紺がすりの男が立っていた。ドアを閉め、こちらの方へ向きかかっていた。それは自分だった。ドッペルゲンガーだったのだろうか。古今東西の小説や文献にも数多く登場し、不吉だと恐れられている。劇作家は「本能的に回れ右をして」、その場を立ち去っている。2020年の東京五輪エンブレム、酷似したロゴがすでにベルギーなどにある。関係者は「問題はない」と話す。シンボルマークは顔である。既存の顔に慣れた人たちがそっくりの顔を見たら、ぞっとして本能的に背を向けるのではないか。何も感じないとしたら、それこそ怪奇な話である。」
 よく似ている。第三番目のエンブレムかと思った。「春秋」では分身と表現しているが、東京のロゴが後の作成であるなら、こちらが分身、ベルギーが親であるもしれない。遠くヨーロッパに親を見つけた。否、真似などしていない偶然似ているだけだというなら、何と表現するか。しかし、このようなことにならないように十分な調査をしているはずだろうに、あまりにも似ている。無視をして逃げることはできまい。組織委員会は、大丈夫か。次は何が起きるのか。不吉の前兆であってはならない。(JN)