不条理と戦うのもまた、道徳心、義務である

(日経「春秋」2013/5/16付) ことし生誕100年を迎えるフランスの作家カミュは、「人間の道徳心や義務について知っている一番確かなことのすべて、それを私はサッカーに教わった」といっている。Jリーグの試合があってから、きのう5月15日がちょうど20周年だった。その20年を記念する先日の試合で誤審があったと、日本サッカー協会の審判委員会が認めたそうだ。審判が正しい判定をすれば決勝ゴールはなかったことになり、戦いの行方も分からない……。考えだすととめどがない。ここは、世の不条理に耐えるのも人の道徳心であり義務である、とカミュを引きあいに出すしかない。ただし、世界では誤審よりもっと厄介なことがサッカーに起きている。それは八百長であり、白人選手や観客が黒人選手を揶揄(やゆ)する人種差別の言動である。不条理と戦うのもまた、道徳心、義務である。サッカーはそうも教えている。
(JN) 事実という現象は同じなのであろうが、そのことの捉え方や利害関係は不条理に対する解釈がそれぞれ個々に違うであろう。なかなかみんなが幸せになる状況は難しいが、この地球上で一緒に住むものとして、不条理なことはしたくないが、不条理が起きれば、それに対して不条理を起こし、それが繰り返される。これが私たちの歴史であったのかもしれない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55097900W3A510C1MM8000/