攻め寄せる花の波。うかうかしてはいられない

攻め寄せる花の波。うかうかしてはいられない
(日経「春秋」2015/3/30付) 赤瀬川原平さんの「お花見は戦争」、攻め寄せる花の波。うかうかしてはいられない。偵察を出す。陣地を構え、弁当や酒を手配し迎え撃つ。お花見は日本独特の民衆文化だという。群桜、飲食、群衆。この3つの要素がそろってはじめて成り立つ。花見に酒は欠かせない。浮かれて飲み尽くす花見酒は、景気の例えにも使われる。実態と離れた経済の動きを連想させるからだ。半世紀以上前のベストセラー「“花見酒”の経済」が起源とされる。2万円が目前の株価、地価上昇の気配など景気のいい話が聞こえだした。うかうかしてはいられない。そんなムードも広がる。ほぼ20年、我慢した。すこしは酔ってもいいではないか。そんな気もしてくるが、デフレ克服はまだ道半ば。経済の足腰は弱く、成長の道筋も不透明だ。浮かれるのは、まだ早い。花に嵐の夜もある。花冷えで風邪などひかぬよう、経済活動も地道にいきたい。こんな句もある。「花にくれて首筋さむき野風(のかぜ)かな」(月渓)
(JN) 秋の紅葉は、少人数で歩いて楽しむが、なぜ、春のお花見は、座って大勢さんで飲み食いして楽しむのか。春のお花見は、色を楽しむより、あの目の痛くなるほどの明るさを体で感じ、明るい春がやって来るその喜びを皆でじっくり楽しむためであろうか。我々は明るい話は大好き、明るい春の光と桜の花のまぶしさ、これに浮かれて、浮世を忘れたい。しかし、浮かれすぎての夜桜、飲み過ぎて次に日に影響を与える凡人は、またも同じことを繰り返すのか。まるでバブルとその後の苦しさを忘れている愚か者のようである。浮かれれば必ず、その仕返しある。まだ飲める、まだ大丈夫と思い、次の日は大丈夫ではない。株は、アルコール以上に生活を及ぼす魔物である。まあ、固い話はここまで。今日も暖かい、西部戦線はどんどん東に押し寄せ、攻め寄せる花の波は、もう直ぐ、東京を征服する。株価の話は置いておき、皆でこの戦線に呑まれて行きましょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85028160Q5A330C1MM8000/