来月は衆院選だというが、さてその先は……

(日経「春秋」2014/11/17付) 大隈重信原敬はという意見もあったという。いや聖徳太子には留任してもらわねばと。そんな議論を経て決まったのが福沢諭吉だった一万円札の肖像の話。ちょうど30年前の11月に、福沢諭吉の一万円札は世に現れた。2004年に千円札の夏目漱石や五千円札の新渡戸稲造が引退したときにも続投となり、いまやその存在感は揺るぎない。肖像を彫った旧大蔵省印刷局の工芸官、押切勝造さんは、聖徳太子伊藤博文も手がけ、名人と呼ばれた人だが諭吉にはつくづく泣かされたそうだ。「ヒゲのない平面的な顔立ちだから肉付けが難しい。線の組み立てにもてこずりましたね」。神経をやられて胃潰瘍が悪化し、胃を半分切ったという。かくも難産の末に生まれた「顔」だが、目下のアベノミクスに思いは複雑かもしれない。みんなが景気回復を実感するには遠く、実質賃金は上がらず、人々のふところをなかなか温められないのだ。来月は衆院選だというが、さてその先は……。財布の中にひとり、ふたり。もっと仲間を、とぼやく30歳の福沢さんだろう。
(JN) 選挙をするにも金がかかる。選挙戦により消費拡大は見込めないであろうか。思い切って、選挙では、候補者の顔写真入りのワイン・団扇・Tシャツ及び演劇券などを配って景気づけしても良いとか、なんて好からぬことを想うより、もっとボランティアを活用できないであろうか。選挙とは、人民の人民による人民のためのものであろうから、自主的に様々な場面でボランティア活動を喜んで行うような風土にならないか。手弁当でみんなでお祭りである。投票には福沢さんは活躍せず、我々が確りと候補者を選べるように、皆で選挙を明朗に盛り上げ、人を選びましょう。景気回復は、国や日銀の力がどこまでできるのか。国の借金の返済は、景気を上げて税収入を増やせるのか。論点はどこにあるのかわからぬが、我々人民は自分たちの手と責任で、代表者を選ぶことを自覚したい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO79789250X11C14A1MM8000/