「事情判決」

(日経「春秋」2013/3/26付) 「事情」という言葉は古くから使われていたらしい。10世紀の古文書にはすでに用例が見える。幕末には福沢諭吉が「西洋事情」を著し、やがて日常語として誰もが使うようになった。「これには事情が……」などと何かと重宝する語ではある。司法の世界でも人の世の事情はものをいう。違法を指摘しつつ事情をくんで請求そのものは退けるやり方がある。その名もずばり「事情判決」だ。各地の高裁の「1票の格差」訴訟の判決も、しきりにこの便法に倣っている。司法が、ついにこれを宣告した。きのうの広島高裁判決である。定数是正をさぼり続けてきた国会に憤慨し、もはやどんな事情も顧みるに値せず、と裁判所が突きつけた選挙やり直し命令の衝撃は大きい。審理は最高裁に移るが、これほど激しい判決が出た現実に政治はいよいよ危機感をもったほうがいい。これには事情が? もう、言い訳は要らない。
(JN) この事情は、一票の平等の事情よりも、議員の事情を優先している。それにしても、自分たちで解決できない、要は自助力のない人が議員になっているという情けない事情である。この事情を国民が認識して、投票を行わねばならないのだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO53216550W3A320C1MM8000/