(日経「春秋」2014/7/9付) 英国では多くのことが駄目だが、していいことはしていい。フランスでは多くのことはしていいが、駄目なものは駄目。米国では駄目なことすらしていいが、ソ連では、していいことすら駄目である――。「民主主義の原則」という名の旧ソ連時代の小話なのだそうだ。「わが国が、ソ連を手本にするよう東欧諸国に奨励した時代もありました。その結果はうまくいったとは言い難いものでした」と語った元ソ連外相だったシェワルナゼ氏が7日死去した。シェワルナゼ氏が担ったペレストロイカ(改革)が91年末のソ連崩壊にまで突き進んだのは、ときに人知を超える歴史の疾走というべきか。一方、シェワルナゼ氏の著書には「(自分の)外交政策に非があったというなら、国民がみずからの目でよその国の豊かさ、人間らしさを確かめる機会を得た、という点かもしれない」とあった。回想だからきれいごともある。それでも、皮肉にこもる「していいことは駄目ではないのだ」という信念は、あやまたず伝わる。
(JN) あの鉄のように頑強な国の崩壊は、歴史的に見ればそれなりの時間をかけての変化であったのだろうが、当時の自分には、「なぜ」というほど、「あっという間の崩壊」であった。民主主義と世界資本主義が展開する中で、社会主義の価値法則を維持することはできなかった。また、ソ連の指導者たちも、資本主義の力を理解していたのであろう。そういう意味では、東アジアはまだ民主主義に至っていないようで、金帝国は健在である。特に粛清が活発であり、国民がみずからの目でよその国の豊かさ、人間らしさを確かめる機会を得るということは、まだ先なのであろうか。早く、していいことができるようにならないか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO73984960Z00C14A7MM8000/