永住帰国した孤児、日本になじめない人が多い。

(日経「春秋」2014/3/2付) きょうは残留孤児の日だという。太平洋戦争の末期、中国から日本へ引き揚げる途中で親と離ればなれになり、現地に取り残された日本人孤児47人が1981年のこの日、肉親捜しのために初めて祖国を訪れた。当時の取材メモ、親戚に一番いい服を借りてきたと、上下の大きさが違う背広を着込んだ男性。思い出の品の、黄ばんだ家族写真を握りしめていた。再会がかなう日の目印に、母親が別れ際に泣きながら噛みちぎった耳の傷痕を、恥ずかしそうに、うれしそうに見せてくれた女性もいた。新たに残留孤児と判明する人は減り、昨年は1人もいなかった。永住帰国した孤児は政府やボランティアの支援を受けて暮らしているが、言葉の壁、生活習慣の違いから日本になじめない人は多い。訪日調査の会場となっていたのは、東京・代々木の青少年総合センターだった。64年に開かれた東京五輪の際、選手村だった施設である。そして2度目の東京五輪がめぐってこようとしているいま、「おもてなし」の言葉を耳にするたびにこう思う。私たちは母国での暮らしを夢見た同胞に、温かく接してきただろうかと。
(JN) 家族と別れ別れになる。私たちの一番大事な家族の絆を奪われる。戦争の犠牲者というのか、国家の犠牲者が中国にまだ残っている。私たちは国家の威厳のために犠牲にされてはならない。ここの一人一人の生活を犠牲にしてまで、なぜ、今の国家は存在しようとするのか。これは過去のことではなく、今も、世界中で弱い人々を犠牲にして、権力闘争が続いている。今ある残留孤児の徹底した調査とともに、日本は積極的に平和を築き上げる国として、国家間の紛争や国家分裂等の危機に対してに積極的にその和平にために関わるべきではなかろうか。私たちは国の利益や威厳のためにそれを求めるのではない、私たち一人一人が子供たちを家族や仲間たちを平和に過ごすためである。そして、形のおもてなしではない、人を心からお迎えすることである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67634500S4A300C1MM8000/