「爆弾にあたって死傷する者は極めて少ない」といった手引書

(日経「春秋」2014/3/3付) 第2次大戦も末期、終戦の年の3月から軍事施設だけでなく普通の街が火に包まれていく。ある程度予想されたにもかかわらず、農村や郊外へと避難した住民は少なかった。最近出版された「検証防空法」という本で、理由の一端を知った。消火活動に従事させるため避難を事実上禁止し、違反すれば懲役か罰金を科していたのだ。「爆弾にあたって死傷する者は極めて少ない」といった手引書も出ていた。空襲を受け郊外に逃げたら、食料配給を止めると言われて街に戻り、次の空襲で家族を失う。NHK連続テレビ小説ごちそうさん」にも、「焼夷(しょうい)弾が落ちたら、消火しようとせず逃げろ」と指導した市役所職員が逮捕される場面があった。東京大空襲などがあった3月には長らく、多くの人々が戦争の悲惨さを語り継いできた。3年前からは、震災とその犠牲者に思いをはせる季節にもなった。何が起こり、それがなぜ起きたのかを調べ、伝えていく大切さはいまも変わらない。震災も同様だろう。
(JN) 空襲に対して、避難していれば犠牲者は少なくて済んだ。「爆弾にあたって死傷する者は極めて少ない」といった手引書があったとは、それを信用させる教育であったあの頃の日本は、国民を何と思っていたのか。国民を大事にしない国は、繁栄しない。国の軍部や行政の思うようになるような制度は恐ろしいものである。あのプーチンのロシアでも、国会承認において軍を動かすことをしているのに、我が国は閣議決定で行うということは、あの時代に遡るようなことであろうか。体験者が少なくなる中、私たちはその情報を確実なものにして、後世に引き継いでいかねばならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67653960T00C14A3MM8000/