(日経「春秋」2013/7/27付) 「どうせ作るなら、毎日変わる社訓をつくったらどうか」(「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」)。50年近く前の話だが、しなやかに自ら変わっていくことの大切さはそのころから既に説かれていた。デジタル化の波に乗ってきた企業が岐路にさしかかっている。高機能、高価格で伸ばしてきた米アップルのスマートフォン戦略の前に、低価格を武器にした中国等の企業が立ちはだかる。ここでも問われるのは企業が日々変わっていく力だ。土光氏が東芝の社長になると「いざなぎ景気」が到来し、業績は急回復した。自身も社内の前例にとらわれず、モーレツに働いた。重役会議が長引かないよう、立ったまま開いたこともある。変化を恐れぬ姿勢が運を呼び込んだのだろう。
(JN) この社会、動きが命なのであろう。我々は回遊魚であり、止まると命を落とすのである。土光さんの時代より更にスピードアップしている。変化に耐えられないものは、落伍していく。最終ゴールのない駅伝である。道の向こうに何があるかわからないが、環境の変化に負けず突っ走るのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO57813660X20C13A7MM8000/