女性の力を生かせと唱えながら「家」制度の名残を引きずる社会

(日経「春秋」2013/3/1付) 家族ハ戸主ノ意ニ反シテ其居所ヲ定ムルコトヲ得ス――。旧民法は戸主に絶大な権限を与えて、妻や子の行動をしばっていた。戦後、そんな戸主というもの自体が「家」制度とともに消えたが、非嫡出子の相続分は嫡出子の半分にするという規定はそのまま残った。最高裁はこんど、大法廷でこの問題を審理することになった。かつて規定を合憲とした自らの判断をくつがえす可能性がある。大きな前進が期待できるけれど、そもそも変革をためらってきたのは政治である。1996年に法制審議会が規定の撤廃を打ち出したのに法改正には手をつけずじまい。女性の力を生かせと唱えながら明治の「家」制度の名残を引きずる社会の、なんというゆがみだろう。
(JN) 民主主義は自分たちで必要とするものによって創られてきた。日本の民主主義は米国から頂いたもので、なかなか国民に伝わっていない。一般大衆にとっては、御上が決めたことをありがたく受け止めてきた。そんな大衆の集まりにも、市民意識が少しずつ出てくれば良いのだが、やはり御上にお頼み申しますであろうか。それはともかく、家のためか、財産のためか、嫡出という事の必要性はどうなるのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO52284320R00C13A3MM8000/