いきなり来春の開設まで不認可とはなんと無体な話だろう

(日経「春秋」2012/11/3付) 社会学者の竹内洋さんが、学校について「アウラ(輝き)」というキーワードで説いている。終戦後までは、学校がアウラを放っていても人々が必ずしも頼りにしていなかった時代。現在はどうかといえば、大学も大衆化してアウラはすっかり失(う)せ、なのに学校依存だけは相変わらずの世の中だという。とはいえ昨今は少子化が進み、私立大などは学生集めに四苦八苦だ。それでもなおあちこちで新設が相次ぎ、文部科学省も審議会の答申どおり認可してきた。これではダメだ、数を絞って大学本来のアウラを取り戻せ、と気張ったのかどうかは知らないが、田中真紀子文相が答申を蹴って3校の来春開設を不認可とした。大臣は3校の新設計画そのものの不備を指摘したわけではなく、審査のあり方を批判している。問題意識はよくわかるのだが、だからといって、いきなり来春の開設まで不認可とはなんと無体な話だろう。
(JN) いきなりというのは、無状であり無情だ。審査の在り方に問題があるならば、そこを問題視することであり、弱き学校法人をいじめてどうするのであろうか。文科省、審議会及び学校法人が時間をかけてやってきたことを如何に考えているのか。「アウラ」を取り戻すのは、学校自身の努力である。大臣パフォーマンスではない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO48025480T01C12A1MM8000/