人は成功体験を披露したがる傾向がある

(日経「春秋」2012/10/10付) ドイツの人口3万の某市市庁舎に大尉率いる歩兵十数人が突然やってきたのは1906年10月16日夕である。皇帝の命により、と言って市長を逮捕し、金庫の中身を差し押さえる。警察に指示して市長をベルリンに護送させると大尉はどこかへ消え……。じつは大尉、古着屋で軍服を手に入れただけの真っ赤なにせものだった。市長、警察、武装歩兵は軍服と威厳ある挙措を真に受け、犯罪の片棒を担いだ。現在の成り済ましは、ウイルスを使って他人のパソコンに侵入し、そのパソコンを遠隔操作してあちこちに脅迫文書を送りつける――そんな手口とみられる犯罪があった。くだんの大尉、かつて服役中の房でチラとアイデアを漏らしていたことがきっかけで逮捕される。ネット犯罪やいたずらに手を染める者にも、手口を披露したがる傾向があると聞いた。人の心根には、いつになっても変わらぬ部分がある。
(JN)上手くできればできるほど、その成功体験の喜びは高まり、黙ってはいられない。人間は愚かな者で、それを人の自慢したいものである。特に、成功体験が少ないほど、その成功は価値があり言いたくなる。或いは実施前でもグッドアイディアであれば、それを言いたいものである。さて、成り済まし犯は、大変賢く、自分の中だけで喜びを噛みしめていられるであろうか。自慢しちゃうかな。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47085880Q2A011C1MM8000/