学校の自治、教育の自律はどこへいったのか

  • (日経/春秋 2012/8/19付) 「夫婦げんかは犬も食わない。犬も食わないものは警察も食わない」。家庭や市民生活に過剰に介入しない「小さな警察」が理想とされた。平成に入ったころから、世の中の雰囲気が違ってくる。家庭内暴力児童虐待、配偶者間の暴力(DV)、ストーカー。市民の側から、警察に介入を求める。DVの通報で急行すると「本当は優しい人なの」とすっかり仲直りしていたり、「ネットで知り合ったので、相手が何の仕事をしているか知らない」と打ち明けられたり。それでもそうしたなかから犯罪の芽を見つけ、被害を防ぐこともまた、今の警察の責務なのだろう。大津市で中学生が自殺した問題が発覚して以降、いじめを受けた人が被害届を出す例が各地で相次いでいる。学校の自治、教育の自律はどこへいったのか。ことここに至るまで、できることはなかったのか。警察は大きくない方がいいに決まっている。
  • (JN)学校に警察は入れない。それは学校の自助力、というか関係者の自助力があったころの話である。政治社会と同様、愚かな国民が愚かな政治を生むように、愚かな市民と社会が学校を愚かにしてしまったのか。警察権力は入り込まないためには、小さな警察であるためには、相互に影響し合う個人一人一人が、人としてやるべきとをやり、お互いの役を認め合う大人がいなければならない。信用と義務と倫理が親達になければ、子どもは好き勝手に要求をし、それが叶わなけれ暴れたり、仲間外れをしたり、ルールを破ったりするであろう。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO45152940Z10C12A8MM8000/