無理せず賢く無駄をなくしたいものだ

  • (朝日/天声人語 2012年7月8日(日)付)文明開化の明治の初め、「ランプ亡国論」なる珍説が世に流布したが、開化の奔流は止められず、西洋の利器はもてはやされ、日本の夜を明るくした。しかし、ランプの天下は長く続かない。「世の中は、電気の時世になった」と嘆くランプ売り。以来なじみの深い白熱電球だが、ここにきて「肩たたき」が急だ。2度目の節電の夏に、省エネでタフなLEDへの移行が進みつつある。「明かり奉行(ぶぎょう)」という新語があるそうだ。会社や家で、不要な照明を消して回る人を言うらしい。明かりに限らず、頼もしい「節電奉行」のいるお宅もあろう。無理せず賢く無駄をなくしたいものだ。〈家々や菜の花いろの燈(ひ)をともし〉。木下夕爾(ゆうじ)の名句は敗戦翌年の春の作という。平和の戻った窓からこぼれる明かりは、むろん白熱灯だった。昭和の匂う光に感謝しつつ、新旧交代の流れに乗るとする。

=>(JN)電気に頼り過ぎた日本社会、電気はクリーンだが、それを作るのに安価な方法は、原子力化、火力である。電気の消費を無理せず無駄なく行うともに、その生産を何とかしたい。政府は原子力エネルギーに注いだ力を風力や太陽光へ変えられないのか。
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