戦争、弱き者が犠牲を強いられる 240623

 沖縄慰霊の日に『天声人語(240623)』は思う▼チビチリガマと呼ばれる洞窟に隠れた140人ほどの住民のうち、83人が火を放つなどして命を絶った▼「集団自決」といっても、死者の6割は18歳までの子どもらである▼なぜ、こんな惨いことが。「日本軍が中国人を虐殺したのと同様に、今度は自分たちが」▼日本の兵隊が中国で行った残虐な行為が、裏返ってガマにいた人々の恐怖心に▼沖縄戦で戦った日本の主な部隊が、中国の戦場から転じた将兵たちだったとの史実もある。被害者か加害者か、民間人か軍人か、そんな境界線がすべてぼやけ、地続きとなって弱き者が犠牲を強いられる。それが戦争なのだろう▼耐えがたい悲惨な歴史を経て、いまというときがあることを、かみしめる。
 (私は)沖縄全戦没者追悼式の仲間友佑さんの平和の詩「これから」に思う。「誰かかが始めた戦争・・・」「誰のため、何のための戦争・・・」。いまも、誰かが始めた戦争が続き、その戦争は弱き者が犠牲になっている。誰のための、何のための戦争なのか。軍事力強化が国民を守るためにあるのか、誰のためにあるのか。