読書メモ 240624

『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』、下西凬澄、2020年12月、文藝春秋
 「フーコーにとって人間とは、単なる生物学的な存在ではない。あらゆる生物種のうちの一つとして人間=ホモ・サピエンスが存在するのではない。『人間』は、ある特定の時代の特定知識形態と制度が生み出した特定の存在の在り方なのだ。」
 「カントにおける心は、デカルトのように全世界の存在の根拠を背負うことないし、パスカルのように神との接続を切望する必要もない、自律的かつ機能的でシステマティックなものだ。」
 「フッサールは意識経験を知覚の場面から捉えるとき『射影』という対象の現われを通じてそれを説明した。対象はある視点(パースペクティブ)から眺められるのであり、視点なき射影はありえない。」
「私たちは、眼差すことによって他者とかかわるのではない。私たちは、触れることによって他者とかかわるのである。メルロ=ポンティは、見ることは触れることであると言った。そして、触れることは同時に触れられることでもあると言った。」