『手書きの年賀状』

『手書きの年賀状』
 「日ごろのパソコン頼みを反省する好機というべきか、今年も賀状の時節がやってきた。印字とメールのご時世だが、やはり手書きはもらってうれしい」。「天声人語(2015/12/19)」は、「しかしながら手書き文化の足元は寒い」と、そして「メールの時代、互いの筆跡を知らない恋人同士もいると聞く。『恋しい恋しい』を『変しい変しい』としたラブレターの古典的誤りは、今は昔の物語である。さて年賀状は、いくぶん畏まった字でしたためたい。むろん誤字なく。」
 手紙も板書も、手書きでなくなってきた。当方、人に見せられる文字が書けないので、ワープロが使えるようになった時は大変嬉しかった。それに、文章は書いているうちにその内容を変えたくなったり、間違えが起きた時に、手書きはやり直しである。これは、学生時代にどれだけ苦しんだことか。年賀状は、今では表も裏も殆ど印刷であり、それでは寂しいと一言に苦しんでいる。こんなことに時間をかけたくないとも思ってしまう

。この年賀状は何のためにあるのか。それは、一般化できない。それぞれに違う。さて、どうしたらよいものか。(JN)