『羞恥心は、あらゆる徳の源泉である』

『羞恥心は、あらゆる徳の源泉である』<2018年4月19日(木)>
 財務省の大臣の言動を『春秋』(180419)は、まずは 小津安二郎監督の原節子に語らせたセリフにて言い表す。「品性の悪い人はごめんだわ。品行はなおせても、品性はなおらないもの」。次に、英国の批評家、トーマス・カーライルの言葉。「羞恥心は、あらゆる徳の源泉である」。さて、「恥を忘れて組織防衛を優先した財務省の醜態に、多くの国民があきれかえった。福田氏は、世間を騒がせたことを辞任の理由にあげ、事実関係については言葉を濁した。この国の行政の品性が問われた辞任劇であった」。
 (JN) 今回の件、何が大事にされた来たのであろうか。関係する個人よりも組織が大事なのか。面子なのか。大体、問題を起こすことへの危機管理はどうなっているのか。今回は特に大臣の資質が問われようか。確かにどすを利かし品がない。そして恥じらいなく無教養をさらけ出す。しかも懲りない。これは関係するものにとっての不幸である。それは国民にとっても不幸である。何を信じて良いかわからぬ世の中であるからこそ、一つひとつを丁寧に扱わねばならない。国民の代表者たるものは、その真実性を見極め、公平性を配慮し、仲間を大切にしながら、国民のために努めなければならない。そして、上品にね。どすではなく、美しく上品な日本刀のような切れ者にして欲しい。