『背中だけでは不憫で、せっかくの良い顔を見せたかったのだろう』

『背中だけでは不憫で、せっかくの良い顔を見せたかったのだろう』<2017年3月6日(月)>
 3月4日にグラフィックデザイナーの長友啓典さんが亡くなった。「筆洗」(170306)は、長くコンビを組んだ伊集院静さんの話を伝える。「トモさんの装丁を見ていると、そこにトモさんがにじみ出ている。哀しい作品にはトモさんの哀しみが、陽気な作品にはトモさんの悦びが伝わってくる」と。夏目漱石も本の装丁にこだわったそうで、「『こゝろ』は「箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた」と。友長さんは「本屋さんを巡回し、かかわった本が棚に差してあると、抜き出して平台に置いていたそうだ。」
 (JN) 本屋さんの平積みにされた本の表紙、その魅力にひかれることが良くある。買いたくなる。中身は字ばかり。表紙から中身を想像し、その本を読んで行くのも楽しい。でも、魅力ある本は、私の時間を奪い取って行く魔物でもあるので、素敵な表紙の本を買うのを我慢する。無闇に手を出さないとしている。それでも、本屋さんに行き、目的の本が見つからないと、つい他の本が買いたくなり素敵な表紙が目に入ると予定外の購入をしていしまう。そして、その購入した本が積読になると、背表紙しか見えなくなり、ちょいと忘れていしまう愚か者であるが、やがて魔力にとり憑かれるのである。