『「創」という字には「きず」という意味もある』

「創」という字には「きず」という意味もある』<2017年2月11日(土)>
 「創造の創も絆創膏の創も同じ創なのだ。創造らしい創造をする精神は、そのいとなみに先立って、何等(なんら)かのきずを負っているのではないか」。「筆洗」(170211)は、創から生物学を考える。「植物の挿し木。茎や枝を切って、地中にさし込めば、傷口から初々しい根が生えてくる。基礎生物学研究所の長谷部光泰教授らは、ある種のコケの幹細胞化を起こす遺伝子が、哺乳類の幹細胞化で働く遺伝子と同じ仲間であると分かったのだ。きずを自らの手で癒し、そこから根を伸ばして、新たな生をつくりだす。私たちの体の中にも、そういう『創』の遺伝子がある。何とも創造的な発見ではないか。」
 (JN) 絆創膏の創、そういう意味があったのか。新たなものを創るという創造は、全く新たなものを生み出すわけではなく、創(きず)なるところを再生するところにあるのだろうか。突然、何もないところから何かが生まれるわけではなく、日々の問題点を直そうとするその意志無くしては創造は生まれない。そういうことでしょうか。決まったルールにおいてのみの行動で、それで処理できないことが起こった場合に、それを排除したり、無視したりするのではなく、痛みを負いながら何かを創めなければならない。そうすると様々な創生の試みは、まずは派手に経済活発を考えるより、そこのキズをどうするかではないか。