『浅草「ペリカン」、白いご飯のように毎日食べられるパン・・・』

<2017年1月4日(水)>
『浅草「ペリカン」、白いご飯のように毎日食べられるパンを作りたい』
 「韮山反射炉を作った江川坦庵は、1842(天保13)年4月12日、日本で初めてパンを焼いた。「余録」(170104)は「坦庵の試みから約170年、パンは私たちの食卓に欠かせない存在となった」と、そして、「コメに次ぐ第二の主食でもある。知恵と工夫を凝らしたさまざまなパンが楽しめるようになった今、2種類のパンしか作らないパン屋が浅草の『ペリカン』」を紹介する。「行列のできる店として知られ、1日で食パンを約400本、ロールパンは約4000個を売り切る。『パン祖』も思ってもみなかっただろう。菩提所の本法寺は浅草の田原町にあり、お参りをする人が絶えない。」
 餅はそろそろ終わりにして、朝はパンにしようか、ご飯がいいか。私は、本日の朝食をご飯にしたが、日本の朝食はパンが強そうだ。我が武蔵野国のお代官の江川担庵さんは、良いものを取り入れてくれた。そして、日本のパン職人の方々のおかげで、ご飯の国の日本において、なんと多くの種類のパンを食べることができるようにしてくれた。おかげで、パン屋さんに入ると、迷ってしまうこの多くのパンである。でもが、やはり朝食のパンは、食パンだろう。朝のトーストパン、味噌汁の香りとともに、朝の香りである。江川さんありがとう。(JN)