『時には煙を浴びての汽車旅の風情は「進歩」に疲れた心をひ・・・』

<2016年9月18日(日)>
『時には煙を浴びての汽車旅の風情は「進歩」に疲れた心をひととき癒やしてくれるに違いない』

 梅小路蒸気機関車館が4月にリニューアルし開館した京都鉄道博物館からの蒸気機関車の汽笛の響き。「春秋」(160918)は、蒸気機関車を「近づくと鉄と油の匂いが胸を突くように生々しく、草食恐竜のような迫力だ」と表現し、「人工知能などと違い、技術の行き着く先をわきまえたかのような安心感をSLには覚える」と言う。そすえ「テクノロジーの粋を集めた自動運転にも期待は高まる。けれども、時には煙を浴びての汽車旅の風情は「進歩」に疲れた心をひととき癒やしてくれるに違いない」と。

 蒸気機関車は、その現役を知らぬ者も魅了する力がある。それは、あの汗をかきながら走るその姿にあるのか。半世紀上生きている私にも、蒸気機関車の現役時代の記憶は少ない。蒸気感謝の最後の時代も、新宿から諏訪の田舎に帰るのは、ディーゼル電気機関車であった。本当の記憶かつくられた記憶かもうわからないが、二重連結の蒸気機関車が貨物を沢山引っ張って、田舎の田んぼの上の坂を汽笛を鳴らして登って行く光景は勇壮であった。効率が悪かろうが、週に一回でも、観光ではなく、通勤列車のように走ってもらえると、重い朝の気持ちに元気をくれないだろうか。また、貨物を引っ張り、駅に入り停車する時の蒸気の音と貨物同士のあの音が堪らない。月に一回でもいい。(JN)