『肉筆の文字というのは百人百様である』

『肉筆の文字というのは百人百様である』
 文字を扱うところは、悪筆、乱筆に苦労している。「春秋」(日経/2016/2/23付)では、「肉筆の文字というのは百人百様である。小学校で『とめ』『はね』『はらい』など教え込まれたはずだが、自己流で書き習わしているうちに同じ漢字がさまざまに形を変えて世にはばかる。それも手書きの味だが、昨今はパソコン普及のあおりで印刷字体との違いがしばしば問題になるという。混乱をきたさぬようにと、文化審議会常用漢字の細かな違いを認める指針を作るという。そんなことまでお上が……決めねばならぬ時世らしい。」
 なぜに、日本ではこんなに漢字を覚えなければならないのか。また読みも様々であり、書き方は厳格であり、覚えの悪い私は、国語が嫌いであった。覚える努力をせず、丁寧に字を書かないため、学生時代は、レポートや論文で苦労をした。「とめ」、「はね」、・・・・がきちんとできない、それから書き順がいい加減であるので、その字のバランスも悪く、違う文字にさえ見える。それが少々許されそうだが、それは人に見せるために文字を書くことが少なくなったからであろうか。ありがたい時代になったが、今後、日本の文字はどうなって行くのだろうか。言い訳だが、悪筆には味があるでしょう。(JN)