日記のなかにはその人にとって生涯の糧となるものが

(日経「春秋」2014/11/30付) 「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったという「富士日記」誕生の経緯。この日記で、泰淳没後にもうひとりの作家・武田百合子は出現した。綴(つづ)られていく日記のなかにはその人にとって生涯の糧となるものがあろう。さらには世に知られ時代の貴重な記録として、文学として、輝きを放つ述懐もあるに違いない。市井の人による言葉にも味があり、近刊の「五十嵐日記」など昭和30年代の東京の空気や生活者の哀歓が行間から立ちのぼる。山形から上京して神田の古書店で働いていた青年の記録だが、そこに焼きついた「戦後」の、なんと健気(けなげ)なことか。かの「富士日記」も、聖書のような布張りの日記帳が押し入れの隅の段ボール箱に眠っていたという。刻まれては埋もれていくさまざまな人生、知られざる事実。その膨大さも思わせてやまぬ日記帳の風景である。
(JN) 恥ずかしながら当方も日記をつけている。飽きやすい自分ながら、なぜか40年続いている。始めたきっかけは何であったろうか、梅棹忠夫か、川喜多二郎か、いやレオナルド・ダ・ヴィンチに影響され、十代後半から何かしらに書き留めて続いている。ダ・ヴィンチへの憧れ、同じようにアイディアをいっぱい出したと、日記だけでなく、カードにアイディアを書き込む。記入するものは、能率手帳、文化手帳、京大カード、ナラコム・システム手帳、A4大学ノート、A5バインダーノート、フランクリンプランナーほぼ日手帳など、よくも無駄遣いしてきたものである。残念ねんながら成果は出て来ず、ノート類だけが残った。凡人には、素敵な日記はかけない。それでも、今後も憧れの人を目指して日記を書き続ける。しかし、作家SOKRATONは誕生しないであろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO80315840Q4A131C1MM8000/