遊びの数々が勝負師の勘を

(日経「春秋」2013/9/21付) 「イチローは絶対に獲得しろ」。おととい亡くなった任天堂の前社長、山内溥さんは株主として米マリナーズに迫った。狙いは当たり、米国でのイチロー人気は沸騰。「ソフト屋」であることを誇った。ゲーム作家も野球選手も棋士も、山内さんによればソフト屋。天才とそれ以外、紙一重の違いが天と地の差を生む。その面白さ。ヒットも勝利も運が左右し、勝ち続けることは難しい。「この辺、ハード屋さんには分からんでしょうなあ」。早大進学で上京すると高級住宅街に一軒家を買い与えられ、終戦直後の東京でビリヤードなど遊びに熱中した。22歳で社長に就任し、30代からは幾多の新規事業を手がける。インスタント食品、複写機、電卓、光線銃。どれも鳴かず飛ばずか、良くて短命に終わった。遊びの数々が勝負師の勘を、青年社長としての苦労が慎重さを育んだのか。その両輪をフルに生かし、世界企業を作り上げた。米国でニンテンドーといえばテレビゲームの代名詞。国境を越え子供らが愛するポケモン。そしてイチロー。遊びに人生を賭け、才能や魅力を見抜き、海外へと送り出した名伯楽が生涯を閉じた。
(JN) 山内溥さんは自分に相当な投資をしたのであろう。無駄思われるものもあっただろうがそれが実り「任天堂」が「ニンテンドー」になったのであろう。その時代と、当たりが出るまでの根気と博奕精神も必要であっただろう。この勢いはこれからどうなっていくのか。博奕が守りに入ると、どうなるか。そうならないか。屋台が大きくなり、頭でっかちになってしまうと、これまでのような活力は無くなるであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60006550R20C13A9MM8000/