「丸の内朝飯会」が設立50周年を迎えた

(日経「春秋」2013/9/22付) 「蕎麦(そば)、饂飩(うどん)、麺麭(パン)」、内田百間は「朝の御飯は憚(はばか)りに行く手順に過ぎない」と。ウーン、これでは朝食が心太(ところてん)を突く棒のように思えて味気ない。ロシア語通訳だった米原万里さんに「旅行者の朝食」と題するエッセーに、旧ソ連時代の「生産を神聖視し、商業とくに販売促進努力を罪悪視する、禁欲的な社会主義的美意識を映し」た、ドッグフードのような缶詰の名を「旅行者の朝食」、持っていこうという旅行者が誰もいないような代物があっただったらしい。その点、こんな朝食はいい。「朝活」という言葉などない昭和38年に生まれた異業種交流勉強会の草分け「丸の内朝飯会」が設立50周年を迎えた。朝食会でなく朝飯会(ちょうはんかい)と名づけたのは「湯気の立ったご飯の温かい雰囲気が伝わるから」という。ケネディ米大統領暗殺のニュースに衝撃を受けた20代前半の若者7人が、「何かしなければ」と早朝のすし屋に集まったのがきっかけだった。設立当時の会員も3人いる。結局のところ、日々の朝食はただの手順ではないのだということだろう。もちろん「旅行者の朝食」では話も弾むまいが。
(JN) 「何かしなければ」と様々な試みが行われているし、試みている。それが適切な規模で継続していることもあれば、それが基に大きく発展して行くこともある。また、残念ながら消えて行ってしまったこともある。これが朝となると、若者には辛い。それが半世紀も湯気を立てているとはすばらしい。日々の作業に四苦八苦の当方には、なかなか手の届かないことであり、朝食は憚りに行く手順ではあるものの、時間は違うが「その内夕飯会」を継続して弾んでいたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60056000S3A920C1MM8000/