シリアは、せっけんが名産、席巻?

(日経「春秋」2013/9/20付) せっけんは安土桃山時代に、南蛮人によって日本にもたらされたという。「しゃぼん」と呼ばれ、その名前が登場する最も古い記録とされるのが石田三成の書状だ。今では暮らしに浸透したせっけん、実は発祥の地はメソポタミア地方だ。紀元前2000年とも3000年ともいわれる昔、木の灰の成分と油からせっけんの原形が生まれ、布の漂白や洗浄などに使っていた。本場では伝統が生きているのだろう。メソポタミアと地中海を結ぶシリア北部の都市アレッポは、せっけんが名産だ。清潔好きが多い日本人にとって、遠いシリアが身近な国にみえてきはしないだろうか。シリアの化学兵器を国際管理下で廃棄する方向になったが、うまくいくかどうかはこれからだし、内戦はいまだに出口が見えない。すでに10万人が亡くなり、難民は200万人を超えるという。それらの人たちの支援や受け入れている周辺国への協力に、日本はもっと力を入れるべきだろう。つながりが浅からぬ国として。
(JN) 遠い国からご近所まで、いろんな人々が暮らしている。それらの人々はすべて無縁ではない、見えないがそれぞれにつながっている。日本人が清潔好きであるかどうかはわからないが、常に石鹸を使って汚れを落とす作業を行っている。その石鹸の発祥はシリア方面であったと。紀元前の時代より、文明や科学が発展していた地域であり、また常に闘いの渦の中にある地域である。席巻の歴史である。この戦いの連続を止めることは並大抵ではないが、人類の英知を注ぎ込み叶えてほしい。それとともに、この現実の中で苦しむ一般の人々に生活の糧と教育を施すことである。恨みの連鎖を少しでも和らげることができないのであろうか。一方で、この戦闘に使われる武器を作り、売捌くことにより、大きな利益を得ている者たちがいる。この利益の一部でも我々はお零れを受けていないであろうか。化学兵器だけでなく、この兵器というもの自体をなんとかできないのか。侵略や殺戮が人類の歴史であり続けるのは永遠なのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59945550Q3A920C1MM8000/