何かの区切りがなければ、四六時中がんばれるものではない。

(日経「春秋」2013/8/1付) どんな仕事や勉強でも「締め切り」がある。ひとは何かの区切りがなければ、四六時中がんばれるものではない。一日の中で、最後のぎりぎりの締め切りは終電時刻だろう。都内の地下鉄などで、その終電時刻を繰り下げる検討が始まった。終電を逃したときの「やっちまった感」は、年々薄れていく気がする。日本の夜が明るく短くなっていく。区切りがないまま、なんとなく今日が明日に続いていく。谷川俊太郎さんは、「夜のミッキー・マウスは/昼間より難解だ/むしろおずおずとトーストをかじり/地下の水路を散策する」――。物思いにふける者を包み込み、癒やす力が夜にはある。終電が延びて、元気さが暗闇に打ち勝ち、世の中は便利になるけれど、夜の優しさも消えてしまうのは少し寂しい。
(JN) 近代化に従い、我々は労働強化されている。明かりがこうこうと照り、夜も仕事ができるようになり、今は暑い夏でもエアコンのおかげで仕事ができるようになった。お店も遅くでもやっている、そして終電がなくなる?何時までも働き、一日は永遠に続くようになるのか。夜中も電車があれば便利であるが、愚図には一日の枠が構造的にできている方がありがたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO57979430R00C13A8MM8000/