愚作はいじったところでよくなりはしない

(日経「春秋」2013/7/31付) 「詩人ってどこで詩を終わらせるのかどうやって決めるんでしょうね。画家もそうね。いつやめればいいのかなんでわかるのかしら。それがわたしにはわからないのよね」。(「八百万の死にざま」L・ブロック著、田口俊樹訳)。読み返すたび、見返すたびに手を入れたくなる気持ち、ものを書く身としてよくわかる。そしておそらくこれは真理だが、愚作はいじったところでよくなりはしないのだ。組織の長もじつは似たようなものではないか。あそこもここもと自分の手で変えようとするうちに、いつ辞めればいいのかわからなくなる。全日本柔道連盟上村春樹会長がきのう、8月いっぱいでの辞任を表明した。詩人や画家が作品への手入れをあきらめる手っ取り早い方法は、締め切りを設けることだ。上村会長も、内閣府から安倍首相名で8月末までに適切な措置をとるよう求める勧告を突きつけられての辞任前倒しである。そしてこれもおそらく真理だが、新しい人の手が入ると愚作も時にあれっと思うほどよくなることがある。
(JN) どこかで完成にしなければならない。プロには締切があるとの話を聞いたこともある。仕事のプロである以上、期限内で最善のものをつくらねばならない。仕事によっては、バトンタッチしていくものもあり、それは次に対応する人たちに良いものにしておきたい。全柔連、次の人たちには、目標と期日をきちっと設けて、組織の再興を願う。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO57935240R30C13A7MM8000/