『贈り物は釣り針だ』

『贈り物は釣り針だ』<2019年11月23日(土)>
 「贈り物は単なる財産の移動ではない。」。『筆洗(191123)』はモースを引用する。「『お返しする義務』も伴うものだ・・・お返しできなければ、人は贈り主に対して権威やメンツを失ってしまう。返さなければ解けない呪いのようである。・・・関西電力幹部らに福井県高浜町の元助役が、多額の金品を贈っていた問題である。金品は、多数の福井県職員にも及んでいたことが、新たに分かった。・・・受け取ったのは、実に百人超である。・・・返していなかった職員もいる。原発立地で、力があったとされる元助役である。贈り物がどんな力を発揮したかとともに、その出どころも気になる」。
 (JN) 世の中は貸し借りの大きな渦である。現代の商品経済社会における記録されている貸し借りから、記録に残さず記憶に残す貸し借りがある。貸し借りは信用の証である。人と人を継続的につなげる。しかし、その目的によっては人の心を支配し、横のつながりではなく、縦のつながり、支配関係になるのだろうか。この贈与が、撒餌や釣り針になる。福井県では随分と大量に撒餌をして、釣り針を沢山と提げたものだ。それだけ釣れたのであろう。程を過ぎた大きな釣り針はどんな者か釣れるのか。世の中にどんな渦を生じさせたのであろうか。
#贈与