『人を憎めば我が身はさらに地獄ぞ』

『人を憎めば我が身はさらに地獄ぞ』<2018年2月11日(日)>
 十日に亡くなった石牟礼道子さんを各紙惜しむ。『春秋』(180211)は、「自分が描きたかったのは『海浜の民の生き方の純度と馥郁たる魂の香りである』。患者らの中には『もう何もかも、チッソも、許すという気持ちになった』『チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん』と語った人もいたという。『人を憎めば我が身はさらに地獄ぞ』。石牟礼さんは患者のこんな言葉も書き留めている。近代文明の『業』の犠牲となった漁民らは苦しみ、戦い、そして最後はゆるすまでに至った。その過程に人間の気高さがあらわれている。憎悪や分断に常にさらされる世界で『生き方の純度』や『魂の香り』の意味を問い続けたい」。
 (JN) 当方、恥ずかしながら、石牟礼道子さんのその作品を知らない。そこで、ウエブ検索をすれば、沢山の解説が出てくる。横着して、熊本県教育委員会のサイトを拾い読み。「『苦海浄土』には熊日文学賞大宅壮一ノンフィクション賞(第一回)が与えられた。彼女はいずれも受賞を辞退した。患者の苦患を語った同書によっては賞は受けないと固く決意していたのである。ひとの受難に深く感応せずにはいられぬ魂の持ち主で、その魂はひとの世の成り立ちとは何か、この世界の根源に在るものは何かと問うて悶えた」。彼女は教えてくれる、『苦海浄土』あとがきに述べている。「今日この国の棄民政策の刻印をうけて潜在スクラップ化している部分を持たない都市、農漁村があるだろうか」。水俣だけの問題ではない。北海道から沖縄まで、民は疎かにされている。そのことを憎むのではなく、学び活かすことが今の私たちの任務である。