『立ち往生の列車に咲いたのは「むつみあいの花」か』

『立ち往生の列車に咲いたのは「むつみあいの花」か』<2018年1月13日(土)>
 「JR信越線では満員の列車が十五時間も立ち往生した」。『筆洗』(180113)は雪に思う。雪の結晶を中谷宇吉郎氏は「雪は天から送られた手紙である」と、ウィルソン・ベントレー氏は「優美な象形文字」と呼んだ。「そんな『象形文字で書かれた手紙』が、天からどっさり届き続けている。乗客はイライラうんざりさせられただろうが、互いに席を譲り合って疲れを癒やしたと聞けば、その座席のほんのりとしたぬくもりが伝わってくるようだ。雪は、結晶の形から『六花』(むつのはな)とも呼ばれるが、立ち往生の列車に咲いたのは『むつみあいの花』か。雪国では、そういう花が、六花に負けず、咲いているのだろう」。
 (JN) 自然とともに生きる。如何に自然を敵にせず、その中で生きて行くか。私たちの科学技術は進歩を続けてきたが、未だに自然災害から逃れられない。それは、私たちの驕りによるのではないか。せっかく気象情報でその現象を予測できるのに、それを考慮せずに、優先すべきことの選択を誤り、事故が発生する。今回の大雪による列車の立ち往生、その列車を走らせる前に考えられなかったか。あるいは、立往生も予測したそのフォロー体制を準備できなかったのか。この美しき六角の結晶、簡単に掌で溶けてまうものが、列車を止めてしまう。車内に閉じ込められた人々の「むつみあい」が救いであったが、私たちはこの状況を生みだしている現在の在り方を考えるべきである。私は思う。大雪なら無理をせず、ゆっくり菓子を楽しむことができる社会を作りたい。