『危険と告げられても、「人々はできるだけそれを考えまい・・・』

『危険と告げられても、「人々はできるだけそれを考えまいとする」「自分の欲せぬことを信じたがらぬ」ものらしい』<2017年12月20日(水)>
 「政府の地震調査委員会は昨日、北海道東部沖の太平洋でマグニチュード(M)9級の超巨大地震の発生が「切迫している可能性が高い」との予測を公表した」。これについて、『筆洗』(171220)は「当該地の不安はいかばかりか。さて、ここからが闘いである。長い闘いになるかもしれぬ。もうひとつは自分の心との闘いだろう。和辻によれば、危険と告げられても、『人々はできるだけそれを考えまいとする』『自分の欲せぬことを信じたがらぬ』ものらしい。疑いや楽観を封じ込め、警戒し続ける。つらい闘いになる」と。
 (JN) 本当に大地震が来るのだろうか。嫌なことは考えたくない。自分はそんなことにならな。愚かにも、そう願ってしまう。でも、現実に、東北で大地震は起きている。熊本も大変であった。なのに、地震対策を個人的に積極的に行っていない。私のような者は体験しないとなかなか理解できないから、やはり体験者の指導を受けるのが良いのであろう。また、現実に起きたことを眼で確かめることである。そのためには、起こって欲しくないが今後の震災地へボランティアとして現地へ行く事である。いや、その前に、自分が被災者になるかもしれない。自分のために、家族のために、仲間のために、皆のために、自分は何ができるのか。何をしなければならないのか。哲学者であった和辻哲郎のような人でも「何もしなかった」からとこれを真似してはならない。