『「赤い羽根」の共同募金運動が始まったのは・・・』

『「赤い羽根」の共同募金運動が始まったのは、七十年前のきょう十一月二十五日のことだ』<2017年11月25日(土)>
 『筆洗』(171125)は、「赤い羽根」を思う。「米国の募金で使われていたものを参考に「赤い羽根」が提案された」。「最初の年に用意されたのは一千万本だったが、それが五千万本に。しかし最近は募金額は右肩下がりで、赤い羽根を着けて歩く人も少なくなった。まど・みちおさんは、こんな詩を残している。<あかい はね/あかい はね/こないだ つけた/あかい はね/ぼくの むねの/あかい はね/ようふく きかえたら/ほっぺに さわった>。そんな羽根のあたたかさは、今でもきっと消えていないはずだ」。
 (JN) 「赤い羽根」は団塊の世代であったのか。新しい日本とともに誕生したこの「赤い羽根」は、豊かになったらしい国民の状況とともに募金活動は低迷していると。これはなぜでしょう。豊かになれば募金件数が増えそうだがそうはならない。想えば半世紀前、小学生であったころみんな一生懸命にわずかながらの募金をしていた記憶がある。高度成長のころは「赤い羽根」が当たり前であったが、自分自身も、ここ数年、羽を着けていない。募金活動に遭遇する機会も少なくなり、募金する心もなくし始めているのか。私たちはこの半世紀で、何かを失ってしまったのかもしれない。それを思い出すために「赤い羽根」を着けてみよう。